1940年に東京で生まれ、今では78才となってしまいました。
昔からある「6才の6月6日に習い事を始めると上達が早い」との言い伝えにならって、私も6才の6月6日より、踊り、三味線などを習わされました。
どちらかというと三味線のほうが上達が早く、17才で名取になり、今の私くらいの歳の人達に教えたりしたこともありました。
 その頃の若かった私は、年配の方々がなかなか覚えてくれないことにイライラしたものです。きのう教えたはずなのに忘れていて、どうして覚えていないのかと聞くと「だって、先生がいるときは覚えてるんだけど、お稽古が終わって家に帰ると、今夜のおかずは何にしようかなぁって思った途端に忘れちゃうのよね」って・・・・。
17才だった私には、とても考えられないことでしたけれど、今ならその時の気持ちがとても良く判るんですよねぇ。ウフフ。
 現在の私に至るまでは紆余曲折いろいろなことがありましたが、“ささの家”(ささのや)という名の置屋を24年前に持ち、また、こうして皆さんにご紹介している“道成寺”(どうじょうじ)も19年前に開くことができました。
 そして私自身、いまだ芸妓として三味線を弾き、そのかたわらで初心者のための三味線教室も開いています。
道成寺のほうは、後継者である若女将と綺麗な芸妓達に委せ、時折お店へ顔を出して、みんなの働き振りを見るのを楽しみにしています。私には娘がいないので、みんな歳の離れた・・・そう、愛娘。そう思っています。
近頃はネットを見てパーティーのお仕事を頂けるようになりました。また、それについての企画などをするのも楽しみのひとつです。

 常々、「半玉さんをもっと育てたい!」そう思っているのですが、一日やってみて出て来なくなったりする子を見て、もっと根性が欲しいと思う今日この頃。
半玉さんとは、“綺麗な花を咲かせる前のつぼみ”ですから、この“つぼみ”を綺麗な花へと咲かせるには、きびしい冬の時期を乗り越えなければならないのです。
 ですから、その苦難の道と向き合い、綺麗な花を咲かせてやろうという気魄(きはく)をもって来て欲しいですね。
現在に至る迄、ささの家にいる半玉さんは、そんな苦難の道と真剣に向き合い、気魄と努力でひたむきにその道を歩き続け、見事なまでに綺麗な花を咲かせています。

 私的考えですが、これからの花柳界は、英語やその他の国の言葉で“和”の持つ素晴らしさを日本国内だけではなく広く世界に伝えて行くべきだと考えています。
今の御時世、キチンとお座りして、キチンとご挨拶をすることはあまりないだろうと思います。
 しかしそんな中にありながらも花柳界では、キチンとお座りして「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」のご挨拶や、脱いだ履き物をきちっと揃えるなどの基本的なことを身につけ、着物も一人で着られるようになり、日々の生活に和の心を深く根差しています。
これぞ日本の文化、和の心だと思うのです。

 私の娘達は、みんなそれが自然と身に付いています。花柳界で働くということは、芸事はもちろんのこと、そういうことも重要なことなんです。ですから、 芸者修行は最高の花嫁修業にもなると思います。
また、私のように73才になって、バイト先はありますか?
・・・・ないですよね。これって芸の力。そう私は思うんです。

 毎日、若い人達と仕事ができる。これはとても幸せなことであり、宝物のように思っています。
どうぞ皆さんも、日本の文化と呼ぶにふさわしい“和”を覗いてみてください。
皆さんの心に“和”の良さが少しでも伝われば幸いです。

2019年吉日
向島芸妓置屋ささの家 及び 道成寺
大女将・奥田 あきら







若女将のゆきです。(1985.3.18生 28才)
10年前の事です。道成寺募集に応募しました。その頃の私は女優に憧れそれなりの芸能学校にも通っていました。着物を着る場面があり一人で着られるようになりたいのと踊りとかお三味線が出来るようになりたいと思い半玉になりました。
二年の半玉期間を経て、昨年若女将となり大女将について修行中です。